旧暦1月の、二十四節気・七十二候・雑節をご紹介いたします。
2月は、旧暦の1月にあたり、昔は新しい年を迎える月でもありました。
冬と春の節目となるこの月は、先人にとって、特別な月であったことと思います。
旧暦と新暦は1か月ほどズレがありますので違和感があるかもしれませんが、旧暦を意識しますと、普段と違った世界が見えてくるかもしれません。
- 旧暦1月について
- 旧暦1月の二十四節気・七十二候・雑節
- まとめ
旧暦1月について
早緑月(さみどりづき)
睦月と呼ばれる旧暦1月は、早緑月と言うこともあります。
早緑は、植物がかすかに緑を帯び始めるという意味がありますので、この頃から春の気配が少しずつ感じられるようになってゆきます。
旧暦1月の二十四節気・七十二候・雑節
この章では、旧暦1月の二十四節気、七十二候、雑節について、ご紹介いたします。
時系列にご案内いたしますので、それぞれ混合しております。
節分(雑節)_新暦2月3日頃
節分は、「季節の分かれ目」という意味があります。
現代では、2月3日の節分がクローズアップされていますが、本来節分は、立春の前日、立夏の前日、立秋の前日、立冬の前日と年に4回あります。
旧暦の時代は、立春を一年の始まりとしていました。
そのため、その前日が一年が終わりになります。
つまり節分は、大みそかと同じ意味合いがあり、冬の最終日でもありました。
現在 行われている豆まきは、本来は年越しの行事で、年の数だけ豆を食べる風習は、お正月を迎えるたびに全員がひとつ歳を重ねたお祝いの名残りです。
今では年越しの意味合いがなくなった豆まきですが、邪気を払い、健康と幸せを祈る思いは、今も昔も同じですね。
二十四節気「立春」(新暦2月4日)
天気予報などで、「暦のうえでは、今日から春になります」と、耳にされたことがあると思いますが、旧暦ではこの日から春が始まります。
新年と春が同じ日に始まる
昔の人にとって立春は春が始まる「特別な日」で、この日にもっとも近い新月の日を元旦としていました。
新しい年と春を迎えることは、同じ意味合いがありましたので、新年の挨拶に「迎春」など”春”という文字が現在でも使われているのは、その名残りです。
七十二候 第一侯「東風解凍」 (はるかぜこおりをとく_新暦2月4日~2月8日頃)
立春の初侯、春を呼ぶ風が氷をとかしはじめる頃です。
東風
昔は、春は東からおとずれると考えられていたようです。
そのため、東の風と書く「東風」は、春を連れてくる風で、日本では古くから「こち」とも呼ばれてきました。
風待草_かぜまちぐさ
この時期に咲き始める梅は、東風を待って咲くことから、「風待草」とも呼ばれています。
東風吹かばにほいおこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ菅原道真
菅原道真が、大宰府に左遷される前に詠んだ和歌です。
『春になって、東の風が吹いたならば、その香りを私のところまで送っておくれ。梅の花よ、主人がいないからといって、咲く春を忘れてくれるなよ。』
昔の人は、春を連れてくる東風を心待ちにしていたことでしょう。
そして、まだ寒さが続くこの時期に香り高く咲く梅は、希望であったに違いありません。
七十二候 第二侯「黄鶯睍睆」 (うぐいすなく_新暦2月9日~2月13日頃)
鶯が鳴き始める時期です。
春告げ鳥
鶯は、「春告げ鳥」とも呼ばれており、春に鶯が初めてさえずることを初音(はつね)といいます。
目白
鶯と間違えられることもある目白は、まん丸の目と、目の周りのふちが白いのが特徴です。
鶯と目白を区別するためなのでしょうか、歳時記では目白は夏の季語、鶯は春の季語と分かれています。
春疾風_はるはやて
疾風は、突然 激しく吹く風のことで、春荒)、春嵐と呼ばれることもあります。
春疾風の中で、立春から春分までのあいだに吹く最初の南風が、「春一番」で、この風が吹くと ぐっと気温が上がります。
そして、春二番、春三番と同じような疾風が吹くごとに、あたたかい春がやってきます。
七十二候 第三侯「魚上氷」 (うおこおりをいずる_新暦2月14日~2月18日頃)
氷の間から、魚が飛び跳ねはじめる時期という意味です。
北海道では、流氷の便りが届く頃になります。
光の春
まだまだ寒い日が続きますが、この時期を「光の春」といいます。
日差しが少し強くなり、日脚が少しずつ長くなってくることから、このように呼ばれていました。
公魚_わかさぎ
分厚い氷に丸く穴を空けて釣るワカサギ釣り。
本来は、海で育って川をさかのぼる習性の魚であったという説があるそうですが、明治時代末期に人口受精卵の移植に成功し、全国の湖などに移植されたと言われています。
ワカサギが「公魚」という漢字を当てるようになったのは、江戸時代に霞ヶ浦産のワカサギを将軍に献上したことが名前の由来のようです。
「公」という漢字には、公方様(将軍)、ご公儀(幕府)という意味が込められています。
二十四節気「雨水」(うすい_新暦2月19日頃)
日差しが温かさを増し、雪や氷がとけて雨や水になる時期です。
この頃から、春の鼓動を感じられるようになってきます。
ほのぼのと春こそ空に来にけらし
天の香具山 霞たなびく引用「後鳥羽上皇 新古今和歌集」
大地が目覚めて潤い始めると、水蒸気が立ち上って霞がたなびき始め、草木が芽吹き始めます。
七十二候 第四侯「土脉潤起」(つちのしょううるおいおこる_新暦2月19日~2月23日頃)
土が湿り気を含み出す時期です。
土脉潤起の「脉」は、脈の俗語で、土が脈を打っているという意味です。
春泥_しゅんでい
土が湿り気を含み出す時期で、雪解けや霜解けで、土の道がぬかるむことが多くなる頃です。
雪間草_ゆきまぐさ
積もった雪が消えかけ、地膚が見えているところを「雪間」といいます。
そして、その雪間から出ている草のことを「雪間草」といいますが、特定の草の名前ではありません。
雪が溶け始めた間からのぞいている草の姿は、なんとも健気ですね。
猫柳・狗柳_ねこやなぎ・いぬころやなぎ
猫柳は、江戸時代までは「川柳」と呼ばれ、河原に多く生えていたと言われています。
ふわふわの花穂が猫のしっぽに見えることから、「猫柳」という名前が付きましたが、犬のしっぽに見立てた「いぬころ柳(狗柳)・ころころ柳」という呼び名もあります。
河原鶸_かわらひわ
雀くらいの大きさの、体が黄緑がかった鳥を見かけられたことはないでしょうか。
それはもしかしたら、河原鶸という鳥かもしれません。
河原鶸は、飛ぶと黄色い羽が目立ちます。
ふだんはコロコロと鳴きますが、春先は「ビィーン」とうなるように囀ります。
海苔_のり
水中などの岩などに苔のように付いている海藻は、歳時記では春の季語になっています。
海苔は、古代から珍重されており、朝廷への貢ぎ物などにあてられていたとも言われています。
江戸時代になると、東京湾周辺で養殖が始まり、11月~3月頃までが収穫時期でしたが、もっとも美味しい海苔が採れるのは、この時期だったそうです。
七十二候 第五侯「霞始靆」 (かすみはじめてたなびく_新暦2月24日~2月28日頃)
霞がたなびき始める時期です。
霞_かすみ
キーンと張りつめた空気がゆるみ始めますと、空に霞がたなびき始めます。
古くから霞は、朝霞、夕霞、薄霞、八重霞、遠霞など、時間や状態によって、美しい言葉で形容されてきましたが、現在の気象用語には霞は用いられず、霧に統一されているようです。
朧月_おぼろづき
霞は、夜になると「朧」という言葉に変わります。
そのほかに、春月夜、春満月、春三日月など、この時期は月に春が付く風流な言葉が多くなります。
雲雀_ひばり
晴れた日に、空高く雲雀が舞い上がる姿を見かけるのも、この頃からです。
ヒバリは、「楽天」「揚げ雲雀」など、幾つか異名があり、まさに天を楽しむ鳥であることが分かります。
風信子_ひやしんす
幕末に伝わったと言われるヒヤシンスは、この時「風信子」という漢字が当てられたそうです。
「風信」には、風の便りという意味がありますが、風に漂うほのかな香りが春を届けてくれるように感じますね。
水菜_みずな
鯨鍋(はりはり鍋)に欠かすことが出来ない菜っ葉である水菜は、冬野菜のイメージがありますが、歳時記では春の季語になります。
京都の周辺で古くから栽培されていた水菜は、ほかの地方では「京菜」と呼ばれることが多いようです。
水菜は、深く掘った畔(あぜ)に水を入れて栽培していたことに由来しているそうですが、今では家庭菜園などでもお手軽に育てられる作物になりました。
七十二候 第六侯「草木萌動」 (そうもくめばえいずる_新暦3月1日~3月5日頃)
草木が芽を出し始める時期です。
木の芽時_このめどき
木の芽が膨らむという意味の「張る」と「春」をかけて、先人は、木の芽春雨、木の芽春風など呼び、新芽をとおして天気を感じていたようです。
木々が新しい芽を吹く頃 | |
木の芽冷え | この時期に冷え込むこと |
木の芽晴れ | 青天のこと |
木の芽雨 | 雨が降ること |
木の芽風 | 風が吹くこと |
土筆_つくし
つくしは、杉菜という草の胞子茎です。
杉菜は、胞子を撒く胞子茎と、葉をつくる栄養茎があり、緑色の草が栄養茎です。
つくしは筆にも似ていることから「筆の花」という異名があり、春をつかさどる女神(佐保姫)の筆にも見立てられたのだそうです。
山椒_さんしょう
独特の香りで清々しい香りの山椒は、この時期から芽吹きはじめ、木の芽は、とくに山椒の新芽をさしています。
古い諺に、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」というものがありますが、体は小さくとも才能、力量、気性が優れている(小さくても侮れない)という意味です。
絵書貝_えがきがい
絵書貝は、蛤のことで、貝殻を白色の絵の部の原料に用いていたことから、このように呼ばれています。
また、浜に落ちている栗に似た貝ということから、「浜栗」とも書くようです。
その昔、はまぐりは、夫婦和合の象徴でした。
なぜなら二枚貝は、それぞれ一組だけしかピッタリと合わないからです。
この特徴を利用した遊びが「貝合わせ」で、やがて貝に絵が描かれるようになり、のちのカルタのもとになったとも言われています。
まとめ
旧暦1月の、二十四節気と七十二候、雑節について、お伝えいたしました。
新しい年を迎える月であった旧暦の1月は、冬と春の節目であったため、昔の農家さんにとって、特別な月であったことと思います。
先人が季節の移り変わりに敏感であったように、私たちもその感覚を失わずに生きてゆきたいですね。
[参考文献]二十四節気と七十二候の季節手帖